カンニング中島忠幸さん力尽く

 急性リンパ球性白血病のため04年12月から休業、入退院を繰り返していたお笑いコンビ「カンニング」の中島忠幸(なかしま・ただゆき)さんが20日午前11時46分、肺炎のため都内の病院で死去した。35歳。福岡県出身。葬儀・告別式の日取り、喪主などは未定。1週間ほど前に容体が悪化し、再入院。妻真奈美さん(35)ら親族にみとられて旅立った。中島さんの復帰を待ち続けていた相方の竹山隆範(35)は21日に会見する。

 「カンニング」が所属するサンミュージックの相澤正久社長は20日夜、スポニチの取材に「肺炎をこじらせた後は人工呼吸器を付けたままだった」と説明。2日前に急変し、最期は真奈美夫人らに見守られて息を引き取った。相澤社長は「過酷な闘病でしたが、亡くなった後は安らかな顔をしていました」と話した。関係者によると、竹山は20日夜のラジオの生放送をキャンセル。中島さんの遺体のもとに駆け付けた。

 中島さんは04年12月に体調不良を訴え、白血病と判明。入退院を繰り返し、抗がん剤などによる治療を続けていた。05年5月に竹山に託した経過報告の手紙には「暇な毎日を送っております。年内の復帰を目指して頑張ります」と記していたが、竹山と再び舞台に立つことはかなわなかった。

 93年にコンビを結成。2人は小学校からの同級生で、長い下積み期間を経てキレる竹山を中島さんがなだめる芸風でブレーク。しかし、直後に中島さんが病に倒れた。中島さんは04年4月に結婚したばかりの真奈美夫人、同9月に誕生した長男の翔太君(2)とともに闘病生活を送っていた。体調がいい時期には首都圏の自宅で過ごしていた。

 この間、竹山は1人で活動。「中島が帰ってくるまではネタは封印する」として漫才のネタはやらず、仕事では必ず「カンニングの竹山」を名乗っていた。ギャラも中島さんと折半し続けていたという。今月5日に出席したイベントでは「(中島は)来年春の復帰を目指している」と説明。「この休養で素人に戻っている」と明るく語っていた。